暑くて嫌になっちゃう
だからダラダラする

ダラダラするには
カラダに効くように効率よくダラダラしよう!

っていうことで
ダラけるヨガ無事に?ダラけて終了しました

ストレスありませんか?力を抜くのが苦手な人たち!

ちょうど季節の変わり目で
風も秋めいてきたと思うのですが

この季節の変わり目に
カラダにストレスがかかります

いつも暦の節目とか言っていると思うのですが
それより、身をもって感じる温度変化の方が
カラダには負担がかかります

特にその節目となる時に
準備が出来ていないと尚更…

で、カラダが硬くなったり
不調が生じたりするわけです

なので
ダラっとカラダにアプローチしていきます

参加していただいた方は
ダラダラしてたわりにカラダ
ほぐれたんじゃないでしょうか?

そして
結構苦手な人多いのではないでしょうか?

「力を抜く」

力を入れるのは結構簡単です
抜くのって難しいんです

どういう態勢になったら
キツイのか、
苦しいのか、
自分しかわからない感覚を
研ぎ澄ましていく作業です

仰向けでゴロゴロ…

座ってダラダラ…

うつ伏せでノビーん…

今回全く立ち上がっていません!
が、キツイ人にはキツかったと思います

ジっとしているのが苦手な人とか
カラダが硬いと「思い込んでいる」人とか

でもそういう人たちにこそ
ゆっくりじっくり伸ばすっていうのが必要なんです

ジッとしているのが苦手な人は
燃え尽きるまで駆け抜ける傾向があります
燃え尽きてからでは
色々手遅れだったりするんです

カラダなんて特に壊れてからだと手遅れですよね?
それがココロだとしたら?
もっとですよね?

手遅れになる手前で一旦立ち止まる為に
じっくりゆっくり自分を見る時間を
つくるんです

カラダが硬いと「思い込んでいる」人は
思い込んでいる時点で
何かしらのブロックを自分にかけてしまっているんです

思い込みほど厄介なものはないですよね

思い込みってカラダに現れますよ?
カラダが柔らかいと思って前屈するのと
硬いと思って前屈するのでは
伸び方が全く違うんですよ?

騙されたと思ってやってみてください



足りないものを探す

ヨガでは
サントーシャといい日本語で「知足」と表現される
今持っているもので十分に足りていることを認識し
それ以上に求めないことという考えがあります

ただ、
それは「今、十分に幸せなら」という言葉がつくような気がするんです
十分に幸せであったらヨガは必要ないのです

その基本は自分をまずは知ることが大事

何の為にアーサナの練習をするのか?
精神的にヨガの教えを達成できている人だったら
練習とかいらないと思うんです

アーサナの練習をする際も
ゆっくりと確実に自分のものにしていく過程があるからこそ

サントーシャ、

今持っているもので十分と
認識されるんです

苦手なものがあって
今の状態がどうなのか

もちろん整っていればなんの問題もないと思います

私も何もいうことないです

でも、どうでしょうか?
これがストレス
カラダのここが痛い
コレが嫌だetc…

色々ありませんか?

だとしたら
もっと自分と向き合う時間を増やしてあげないと
いけないと思うんです

ヨガで難易度高いポーズはムリだから
じっとしている方が楽でイイ
なんて言う人もおりますが

楽…なんでしょうか?

ただジッとしているのは
ヨガでもなんでもなく
ボーッとしているのと
一緒ですよ?

自分に意識を向けるからこそヨガである意味があるんです

ダラける事にも意味がある

だからやるんです

「ゆるめる」「使う」

どっちが苦手なのか
わからない人も
一度ヨガをやってみたらいいと思います

知ったらそこを改善する
もしくは
認める事で楽になると思います

それをどうしたらいいかわからない人は
聞いてくれたらいいかと

アドバイスくらいはできます

それも、あくまでアドバイスね

今、幸せかどうかのモノサシを持っているのも
自分しかいないので

最終判断はご自分で

今、幸せですと胸を張って言えますか?

そうじゃない人は
今すぐダラけましょう




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