ヨガの資格を取ろうとすると実技だけでなく「哲学」の時間があります。
ヨガスートラという教典をベースに学んでいくのが資格を取るための必須項目です。

ヨガスートラは4-5世紀ごろにパタンジャリという名前のリシ(聖者)によってまとめられたインドの正統学派の1つであるヨガ派の教典です。

スートラには「糸」という意味があり、教典の生まれた当時は木の葉に文字を書いて、それを糸で括って書物にしていて、そのように教典をまとめた糸を意味しています。

ただこのスートラは言葉の解説がなく、意味を知っている人向けの本です。

なのでヨガを勉強していてもチンプンカンプン?ってことがよく起こりますし、意味をわからず使っている人もよく目にします。

ヨガスートラの最初の文は
「atha-yogānusāśanam アタ ヨーガ アヌシャーサナン」
このアヌシャーサナンの「アヌ」は「続き」という意味です。
1番最初の文章なのになんの続きなんでしょうか?

この教典が最初の入口ではないということを指しています。

私も全て知っているわけではないですが、この哲学を学ぶ前にその入口に立つ必要があると思っています。
今日はそんな入口の話に少し触れたいと思います。

本当に大切なものは何か

私たちは快適になるために過ごしているはずなのに、なぜ満たされないのでしょうか?
便利で楽しいツールは増え、欲しいものはすぐ届き、情報はすぐに手に入るのに精神的に病んでしまう人が増える一方なんでしょうか。

ヨガの教えは自分自身にくつろぐ実践と言われています。
ここでスートラだけを読んで教科書通りの回答だとヨガの目的はSamadhi(サマーディ)悟りと答えると思います。

ヨガは手段でしかありません。
それが理解できているとサマーディもゴールを得るための手段となります。

ヨガの教えは何を求めて生きるかを明かす知識と生き方の実践です。道具や技術はあくまでも目的を得るための手段です。

ヨガの教えの中には「アヒムサー(非暴力・不殺生)」というものがあります。スートラでは考えや言葉、体を傷つけないという教えです。

ではこれを実践するには何が理解できてるといいのでしょうか。
守らなければいけないという義務感だけではこれは継続できません。ただスートラにはその言葉の意味しか書いていません。
本質を理解して「知らない」という無知を取り除くことで自然と達成されます。学んでいるのにこれが達成できない理由は、言葉だけを知っていて本質がわかっていないからです。
大切なのは「無知であるということを知る」ことから始まります。

言葉を知っているだけでは理解できたことにはなりません。
無知が本質を隠し満たされない自分を作り出します。無知である限り終わりがありません。つまりゴールも見えなくなります。

これを咀嚼するのがスートラ前の入口で学ぶことです。

快適に過ごせるように

人間は日々様々な選択をし、今が成り立っています。わざわざ苦しくなるような選択する人はいません。何を求めて生きていくのか、ヨガスートラ、ヨガ哲学の理解が深まらない方、ぜひもっと最初の入口から始めてみてはいかがでしょうか。

ヨガをしてる男性をヨギー、女性をヨーギーニと言いますが、「ヨーギー」は「私」「私のもの」を手放した人、知識によって穏やかな人、感情や思い込みによって支配されない人を指します。

ヨーギーはアーサナ(ポーズ)を深めた人のことではありません。考えを整える準備、瞑想をする土台、健康を得るためにもう少しヨガの入口に立ってみませんか。

金曜日16:00-17:00 STUDY classにて学びのクラスを開催しています。

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