ヨガをしていると
べジタリアンやヴィーガンの人に出会うことが多い

私はどれかに当てはめろといえば
べジかもしれないが
上記に該当しない

やらない理由としては
ストレスが生じるから

というのも
過去飲食の方々とも関わっていて
料理人の方々へのリスペクトもあるし
好きなモノが食べられなくなるから

ヨガを学ぶにあたり
ベジやヴィーガンの概念ではなく
アーユルヴェーダ哲学の考えである
「食事の環境や食べる人、モノ」を
考える方が有意義だと感じる

何を食べるか?誰のご飯を食べるか?

”ベジやヴィーガンは肉・魚・卵・乳など
動物性を摂らない

身に着けるものなども動物の命から摂取したものではなく
地球環境にも配慮する生き方”

なのだが

私も普段口にするものは意識するようにしている
ただその制限をかけたとき

誰かと食事をする際
食べられるものがかなり限られる…

私が実家に帰るときは決まって
寿司かご贔屓しているうどん屋さんで出前を取るのがデフォルト
せっかく用意してくれたごはんの時間

ベジやヴィーガンを「絶対」にしてしまうと
何も食べれるものがなくなるのだ

ヴィーガンの方と食事をご一緒した際も
前もって予約していた食事でしたが
出汁など店員さんに細かい注文があったり

客観的に見ていて
この豊かな国でアレルギーでもないのに…
と思ってしまう

食事する内容もそうだけど
その食べる空間も楽しめなければ
それって食事でもなんでもないよな~と

ただ口にするだけで満足なら
たぶんそれはなんの栄養にもなってないし食べていないと思う



いただきますって何のため?

私は和食や精進料理好きです

日本にもともとあって
ベジな料理だと思います

野菜をつくるにも
畑を守るために罠を仕掛けて
犠牲になっている動物もいるし

最近SNSで米農家さんが
お米を作るために畑の水を定期的に抜くことで
オタマジャクシも犠牲になってるよという
話をヴィーガンの人にしていて話題になりましたが

そうなるとお米も食べられないね~って
皮肉なオチになってましたけど
(苦笑)

人が生きていくには
たくさんの生物の犠牲が伴っているので
必要以上に食べ過ぎたり
食べ物に対して不平不満を抱かずに感謝をして食べましょう

が、「いただきます」「ごちそうさま」に
込められている

なので
偏った情報に囚われず
どの食事も作ってくれている人に対しても感謝していただく

マインドフルネスしよう

「ココロにとどめる」
「忘れないで思うこと」

これもマインドフルネス
「気づき」と言われることが多いけど
気をつける、注意も忘れないようにするためことなので同意です

人間のカラダは
他の命を犠牲にしてつくられている

まさに上記の内容ですが
人間は事実や現実を正しく見れないことが多いです

気持ちが常に揺れ動いているので
思考や妄想が優先するから

カラダへの過剰な執着を捨てる為の練習です

なかなか外に出ずらいですが
思考やカラダの大掃除しませんか

Lokah Samastah Sukhino Bhavantu

あらゆる場所のあらゆる存在
生きとし生けるもの全てが
幸福で自由でありますように

そして、私の人生における思考、言葉、行動が
すべての存在の幸福と自由に貢献できますように

他の人も私とまったく同じように
幸せになりたいと願っている

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