映像編集脳になってると文章が全く書けない。
文章脳になってる時は映像編集が手につかない。

英語と日本語など多言語を喋るときに
スイッチを切り替える人の気持ちが今ならよくわかる。

以前は移動時間が文章を書く切り替えスイッチだったのですが
今は完全に移動時間がなくなったので
この辺を考え直さなきゃかと、思ってはいる。

だからこそ人はルーティンを組んで
なるべく普段の選択に判断力を使わないようにするのは
理にかなっている。

特に最近はコラムを書かせていただいているので、
お気軽につらつらと文章を書くわけにもいかず
(普段の文章も手を抜いてるわけではないよ)参考文献や、
みんなの興味のあるネタは何か、のリサーチが
いつもの倍以上かかっているから動力を使う使う…。

書いては消してを繰り返してます。

特に書いてる途中で熱がなくなってしまったものが、
お蔵入りなんてよくある。

文字を最小限に

文章脳の時は、読書熱が戻ってきたり。
(映像脳の時は映画とかはみたくなるけど漫画は読もうとはならないんだよねぇ、不思議)

活字を読むのは好き。
でも、家の中で文字が見えるのが嫌。

基本シンプルなものが好きなのですが、
日用品や食品などは色々表記することがあるでしょうから、
シンプルというわけにはいかないので
ラベルやパッケージがついているものを選んだりしますが、
すぐに剥がすか、容器を入れ替えます。

家の中の文字情報を極力減らしています。
不要な情報処理をしたくない。

はじめて家に来た人が冷蔵庫開けたら
調味料とか何がどれだかわからないと思う。

家にある文字の代表格といえば、本。
基本は電子書籍ですが、
ヨガの書籍は古いものや廃盤になってる物が多く、
必要な本は今でも紙で購入する。
だから家にある書籍は普段視界に入らないように
本棚ごとしまってある。

それくらい徹底して文字を意図的に視界に入れないようにしてる。

なぜなら、不要な文字情報で疲れてしまうから。
必要な時に必要な量だけ情報を入れたい。

情報が溢れている現代だからこそ
自分にとって必要な情報を入れるキャパは
しっかり確保したいと思ってます。

手離すものはモノや事柄だけではない

モノを手離すことは目に見えてわかりやすですが
身の回りには案外自分に必要ない情報が蔓延っています。

今首を突っ込んでいるその話、自分の人生に関係ありますか?
なんとなくサーフィンしてるその記事の信憑性はどれくらいですか?
自分を豊かにしてくれる内容ですか?

文字情報が疲れるという話をしましたが
映像も同様です。

映像から得れる情報は視覚、聴覚、そして体験など文字情報より
一気に多くの情報が入ってきます。

情報も取捨選択する必要があるのではないかと思います。
最近、情報と距離が近い人も多く見受けられるので
何事も適度な距離感を得られると良いですよね。

知ることや知識は自分を支えたり守る為の武器となります。
情報の仕入れ方の見直しも時には必要。

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