おうち時間が長くなり、
案外引きこもりも嫌いじゃないかも…とここ数年での発見。
だからといって、じっとしているのが得意なわけではなく、ゆらゆらと旅に出るのも好き。
もともとは風来坊的な人種ではある。
最近気づいたこと、趣味「生活」。
いかに家の中で快適に過ごすか、自分の好きな空間にするのかを考えるのは昔から好きだったけど、家にいた時間が長かったことにより拍車がかかった感じ。
そして気づいたのです。
「生活そのものが趣味じゃん」ということに。
長年趣味がないと思っていたけれど、生活のあれこれをこねくり回して考えてるのが当たり前の日常ではなく好きなことなんですよね。
便利も好きだけど、不便も好き。
たぶんそういったあれこれがこだわりなんだと思います。
こだわりというもの
「丁寧な生活」
ここ数年こちらのワードはよく耳にする気がします。
憧れますよね…。
もちろん私はヨガをしているわけで、自分を丁寧に扱ったり、モノを丁寧に扱ったりを心がけることは意識していますが、なんせ元来搭載されているスペックがズボラなもんで…程遠い世界だなと白目剥くレヴェルです。
それでも、ミニマリストというワードを知り、モノを手放すところから始め、全てを新地にし「自分にとって必要なものはなんだろう」の問いかけをしている最中です。
その過程で、自分にとって大切なもの、大切にしなきゃいけないこと、アップデートしなきゃいけないものが都度見えてきます。
この作業を定期的に繰り返すことによって、自分の軸と言われるブレちゃいけない芯のようなものが構成されていく気がしています。
時代が変われば考え方も変わります。
柔軟に変えなきゃいけないこともあれば、残さなきゃいけない考え方もあるので、ずっとその場から動かないのも違うかなと思っています。
あまり言葉の型に填めるのは違う気もしますが、わかりやすく表現すると
以前は「ミニマリスト」という言葉がしっくりしきていますが、今はミニマリストより「シンプリスト」という言葉の方が個人的にはしっくりきます。
ミニマリストよりはモノが多いけど、そのモノはこだわりぬいたもの。
コレクションしたいわけではなく、自分にとって豊かになるもの、だから「少ないもので生きる」というミニマリスト的な思考は変わらず持っています。
サステナブルという罠
Sustainableは、英語で「持続可能な」「維持できる」という意味を表します。
この言葉の捉えられ方は様々。
ものすごくザックリいうと「リサイクル」的な捉え方の人もいれば、「環境にやさしい」という考えの人もいる。
このワードは同じようなニュアンスに聞こえますが、使っている素材を指している人と、作っている工程を指している人…となるとどうでしょうか?
いくら環境に良いことをしていても、それらをつくっている職人さんの労働環境や給与体系が持続可能ではなかったら?市場に出回っているそのモノの価値が適正な価格で販売されてないとしたら?
どこを指してサステナブルと言っているかは見ている角度によってかなり変わってきます。
最近サステナブルなアパレルに関わることが多く、いただくサステナブルな要望が多方面過ぎて、全て叶えることは現状不可能とおっしゃってました。(叶えるとしたらべらぼうに高くなりますけどそれでも買いますか?ってことと引き換えになったりするそうです)
そのサステナブルは「どう持続可能なのか」を考える受け手側の知識も必要かと。
持続可能な生活
衣類はもともとミニマリズムにより制服化しています。
ただ同じものを着る制服化ではなく、同じ色で、組み合わせを楽しむタイプの制服化です。
ファッションは変わったデザインを好むので、着数は少なくても、その辺は譲れないポイントです。
変わったデザインを好む所以、なかなか同じようなものに出会えないので気に入ったものは丁寧にケアしながら何年も着続けます。
これは安価でも高価でも変わりなく。
体型を変えないということも自分に対しての戒めであり、流行りのデザインに振り回されない、買う際に何年も着続けることが想像できて、着心地良いかどうかの素材にもこだわる。
これもサステナブルだと思います。
「服を着ない」という選択はできないけど、必要以上に「買わない」選択はできる。
ミニマリスト時代にはケアするのが大変という理由で、セーターなどは持ちませんでしたが、今は手入れの知識を得て、ケアする時間もとれるという判断ができたので所有しています。
もう年単位で着用しています。
靴も磨いたり出来るだけ長く使えるようにケアをしていく。
モノが簡単に手に入る現代だからこそ、何を長く使いたいか、大切に扱いたいか明確に見える作業は大事なのではないかと思います。
偏った情報や、世間や企業に任せっぱなしではなく、自分の生活の中で「当たり前にできること」は何かを考えることが大事だと思います。
生活が趣味だからこそ、
丁寧に暮らす、ではなく丁寧に生きる。