大きな変化を感じているここ数ヶ月、半年間は映像編集や動画づくりに精を出していた為、だいぶご無沙汰な記事になってしまいましたがまたつらつらとしたためていこうと思います。
日常の中で真っ暗闇を体験したことはありますか。
ひと光もない真っ暗な世界です。
ほとんどの人は経験ないと思います。
新月の時でさえ、夜は何かしらが光を放っています。
現代は特にこの真っ暗闇の中に身を置くことが難しいのです。
街灯やスマホなど意図してない光がたくさん、だからこそ夜道は安全に歩けますし生活もできます。
ふとしたきっかけで、先日「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を経験させていただきました。
内なる美、整う暗闇
ダイアログは「対話・対談」
つまり、暗闇で対話、対談をします。
漆黒の暗闇は視覚以外の4感を働かせないといけないので、必ず一緒にいる人たちとの対話は必要になります。
「ここにいるよ」
「ここ危ないよ」
声の距離感と誰が喋っている声かで自分のいる場所を把握します。
もちろん、声だけでなく音に耳を傾け、音の反響によって今自分がいるこの場所は広いのか狭いのかなども把握できます。
だからこそ声を出していなければ誰かとぶつかったり、危険な場所へ向かって行きます。
不思議なもので、ガイドの方も仰ってましたが相手の顔が見えなければカッコつけなきゃ、や、余計な見栄や恥ずかしさなど変な感情が湧かず自然と親切になれると。
ヨガでも感情の振れ幅の話は頻繁に出ますが、人間って本当によくも悪くも感情があるから厄介な生き物だなぁと感じました。
真っ暗闇で1番最初に働くのが聴覚、真っ暗闇でも身の回りに繊細で親切でありたいなと。
そして、何も見えなくなった時、体感しやすいのが触覚ではないでしょうか。
足裏の感覚や、手で触れる感覚、そして空気が変わる感覚など、広い範囲で感じられると思います。
扉が開いた時、空気が変わり
じゃり道や芝でも足裏の感覚は変わり
手のひら感じる、壁、木、水の情報
暖かい?冷たい?普段より、より繊細に機能しているのを感じました。
身の回りの温度感が少しでも変わることで人が近くにいることも感じ取れました。
普段だったらそんな感じ方しませんけどね。
目の役割をするさまざまな器官
ヨガのレッスン前にも私はよく言うのですが
「普段、視覚から入ってくる情報の90%以上が視覚からと言われていますが」というワードを自分自身で深く噛み締めておりました。
本当に普段見ているさまざまなものを他器官から感じ取り、伝達していく不思議な体験でした。
これをすることで改めて普段見ている視覚からの情報に対しても
「本当に合っているか」
「どこかで当たり前だからと情報を湾曲させていないか」
という問いができるようになりました。
当たり前は当たり前でなく、その一瞬一瞬でも常に「全く違うものだぞ」と常に新鮮な情報が送れるようになりたいものです。
そして、嗅覚と味覚を感じる瞬間。
難しい
そう。
ずっとそうでしたが、色が見えないんです。
今口に運んでいるものが玄米だったとして、玄米を知っているからあの色がなんとなく想像がつくだけで、口の中にいらっしゃるのは味的にも香り的にも白米でないのはわかっているけどどういうものかと説明するとなるともっと普段の感覚を研ぎ澄まさなきゃだなと。
噛めば噛むほど、甘くなる。
よくお米甘いなんて言いますが普段の食事で甘くなる瞬間まで噛んでますか。
どれくらい噛んだら甘くなりますか。
余計な情報がないからこそその甘さを感じられたなと思います。
日常に戻ってみて
この経験はあっという間でした。
そして結論、楽しかった。
なんの捻りもない小学生みたいな感想ですけども。
私自身、元々小さい頃から視力がいい方ではないので結構ぼんやりとした視界の中で生きているもので視覚を取り除く感覚をすんなり受け入れられた気がしてます。
最初、真っ暗になると不安や怖いと感じる方多いそうですが、ワクワクしてましたもんね。
見えないなりに他の感覚が結構他の人より長けてるなって思う瞬間もよくあります。
みんなが聞こえない音が聞こえたり、空気が変わる瞬間を察するのも割と得意です。
ホラーとか見えないものが見えちゃう話ではないですよ。
欠落してる部分を補うために人間よくできてるなと思います。
目に見えるものだけでなく、何が大切なものなのかを改めて知れる経験でした。
気になる方はぜひ。